20201114 生まれついた場所

一週間ほど日本海側で生活したら、肌の調子がよくなった。

 

日本の美肌県ランキングは、石川県や島根県など、日本海側の県が占めているらしい。湿度が高いからかな。

POLAがやっている美肌県グランプリを見たら2020年は一位石川県、二位秋田県、三位山梨県だった

 

ぼんやりと、肌のきれいさで人生は変わるかな、と考えていた。学生時代、自分の顔が好きではなかった。今だって特段胸を張れる顔ではないのだが、なんとなく数十年かけて自分の中で折り合いをつけた。昔は、もっとましな顔だったらもっと人生は良いものになると本気で思っていた。

今であれば、かつての自分に、「お前の人生がパッとしないのは顔のせいではない、人間の中身の方が原因だ、目を覚ませ!」と張り手を食らわせることができる。ただ、鏡を見るたびに、陰鬱な気持ちになり、周りにあたってしまったことは、事実なのだ。思春期である。

 

たとえば、太平洋側の乾燥した風が原因で、かわいそうなほど肌が荒れた子がいたとする。その子が、(見た目が原因なのか、上記の私のように外見が内面に影響してしまったかはさておき)いじめに遭ったとする。肌が綺麗だったら環境は変わっていただろうか。生まれたのが日本海側だったら?親が適切なスキンケア用品を買い与えてあげたら違ったか。

これって、ちょっと地方の教育格差にも似ているな。

 

生まれた場所は個性である。周りの環境は選べないが、それこそ多様性なのだから、選べない方がいいのだろうと思う。

しかし、生まれた子どもたちが、環境を変えたいと願ったときに、大人たちには何ができて、どこまでのことをしてやるべきなのだろうか。

 

東京一極集中の時代は終わるかもしれない。私の悩みはもう過去のものだが、未来のために色々と考えることは、いつかの誰かと、かつての私を救うかもしれない。

20201107 後ろ向きな祈り

人生は思った通りにはいかないものである、と誰もが言う。これはまったくもってその通りで、私の人生は計画通りに進んだことが一度もない。常に行き当たりばったりなのだ。でもそこそこ幸せです。

 

頑張って準備していたイベントが天候不良のため中止になったり、自分が言おうと思っていたことを他の人に先に言われてしまったり、あーしようこーしようと脳内でこねこねしていたことは大抵パーになる。だから、先の展開が脳内ではっきりと再生されてしまったときは、あ、この企画、パーになるな、と予感する。そしてだいたい当たる。

そういう人生を送ってきていつの間にかついた癖がある。最悪の事態を細々と脳内再生するのである。「想像したことは起こらない」「人生は思った通りにはいかない」の裏返しなわけだ。最悪を想像しておけば、最悪は起こらない。かなり後ろ向きではあるが、私なりに理屈の通った話なのだ。

 

我が家に子どもが産まれてから、自分が死ぬことよりも、自分が死んだあとに残された家族が不幸になることの方が怖くなった。身内自慢になるが、私の配偶者はまっとうな価値観を持ち、不正には声を上げ、周りから大切にされる人物である。それこそその場しのぎの生き方をしてきた私とは真逆で、きちんと計画を立て、そしてその計画を遂行することのできる人物だ。そんな人間が、私のような頓珍漢と家庭を築いたために不幸になることはあってはならないと思っている。だから私は定期的に最悪のパターンを想像する。その中には言葉にするのも憚られるような酷い話もあり、誰に話す訳にもいかず独りで悶々と抱え込んでいる。

 

子どもが産まれてしばらくしたある日、一人で外出していた私は、横断歩道を渡りながら、いつものように自分が交通事故に遭って他界したときのことを考えていた。そのときにふと閃いたのが、一年前に描いた油絵のことであった。

子どもができたと判ってから半年ほどの期間で、油絵の具で自画像を描いた。大きさはFサイズの30号。椅子に座った私がこちらをぼんやりと眺めている。背景には一面本棚を描いた。本が好きだから。

私がある日突然死んだら、家族はこの絵は一生捨てられないだろうな。私が死んだ年齢と同じ頃の自画像である。自画像は見たままに描いたつもりではあるけど、自分の残したい姿を描写した部分も多少はあるから、記憶に残るのはこの絵の私がいい。家の目につくところに飾って欲しいものだ。片親で子供を育て上げるのは苦労も多いことだろう。でもうちの子は真っ直ぐに育つんじゃないかな。そして、配偶者には子どもの巣立ちを見届けてから、この絵を眺めながら酒でも飲んで欲しいな。

 

あれ、思ったよりもいい話っぽくなってしまった。しかし、この未来は起こり得ないだろう。経験則から言うと、悪い想像より良い想像の方が思い通りにはいかないから。

 

あぁ、これで大丈夫だ、と安堵する。そして今日も、悲しい想像をしてしくしく泣きながら眠る。身内の幸せを祈って。

 

20201106 私は怒っている

ブログは週一で更新しようガンバローとか言ってた割にこの間の空き方である。でも新年の目標なんてそんなもんですよね。覚えてるだけまだましというものだ。

 

世の中がたいへんなことになっていても生活は続くのであった。毎日飯を食って働いて風呂に入って眠る。

 

疫病の流行のせいであらゆるイベントごとが中止になった。空白の1年間。この先、例えば10年後くらいに、始まってから20年目のイベントが、第19回と冠されたりするのか。ズレである。こういうことが世界中で一斉に起こっているのだと思うと脳みそがぞくぞくする。世界が停滞しているにも関わらず、人間はみんなひとつ歳を取るのは腹が立つ。そこは平等なんですか。

 

そうか。私は怒っていたのかとふと気付く。私はフェアが好きな人間である。だいたい、病気という奴は平等ではない。なぜ健康にあれほど気を遣っていたひとが。なぜこんなに善いひとが。なぜあんなに世の中に尽くしてきたひとが。なぜ!

 

さいきんはなんとか布団の上で安らかに死にたくてよく泣いている。そんな2020年です。

20200124 みなくなった夢について

みなさんは夢みますか夢みるの好きですか、みた夢覚えてますか。

私は夢みるの好きで、夢って眠りが浅いときに見るとおもうんですけど、大学生の頃は夢をみるために惰眠を貪りまくって楽しんでいた。

私の夢はけっこう現実の願望とか悩みが直接的に反映されるんですけど、逆に夢が現実に影響を与えることある。例えばなんだけど昔、悪感情を抱いていた芸能人が夢に出てきて、遊園地かどっかでパフォーマンスをしているんだけどぜんっぜん人が集まってない、けどにこにこ笑ってがんばっている、みたいな夢を見てからその芸能人が好きになってしまった。その程度の影響があるってのが、自分にとっての夢の位置づけである。

 

で、タイトルにあるみなくなった夢の話なんだが、私は大学時代に割烹料理屋でアルバイトをしていて、そのときの夢を3.4年前くらいまではよくみていた。そこの割烹の女将さんがなんというか、精神面が若干弱めな方で、いい人ではあるんだけど、昨日良しとされたことが今日は駄目でめちゃくちゃ怒られる、みたいな揺れのある人だったのでアルバイト衆は毎度女将の顔色を伺いながら働いていた。もちろんその頃の私はまだ気の回らないペーペーであり、女将の満足のいく働きができていなかったというのも、注意を受ける一因ではあった。

時給が良かったので就活を始めるまで続けたものの、当時は結構気が重く、社会人になってからも年に2.3回の頻度でアルバイト先で働く夢をみていた。

その後、世間の荒波に揉まれ、アルバイトなど比較にならない理不尽なども経験し、効率的な仕事の仕方を覚えた。そんなある日、はたと最近割烹料理屋を舞台とした夢をみていないことに気がついた。

今であれば女将も納得のスーパーアルバイターとして活躍し、時給ももりもり上げてもらえるだろうにな、と思うのだが、こうして過去を克服したからこそもう夢には出てこなくなっちゃったんだろうなとも思う。

そうしてしみじみと思い返してみれば、まかないが美味しかったなとか、女将も大将も気分屋ではあったが愛のある良い人だったなとか、お客さんにお酒を奢ってもらって楽しかったなとか、プラスの面も次々とよみがえってくるのであった。

 

にんげん嫌な思い出ばかりが記憶に残りがちであるが、良い記憶もニュートラルに刻んでいきたいものである。過去を美化していると言われればそれまでなのだが。

20200119 アイシングクッキーを作ってあそぶ

2019年の暮れ、クリスマスに向けてツリーを編んだり料理の練習をしたりといろいろやっていたのだが、あろうことか12/23頃から犬のジョンも私も体調を崩し共倒れ。それでも赤子の世話はなんとかしなくちゃという感じでもう完全にクリスマスどころではない。結局その辺りで食べたものといえばポカリスエットウィダーインゼリー・リンゴといった体たらくである。とほほ。

張り切って準備をしようとするとこれである。私の人生は大体こんな感じなのだ。

ほんとうは一番力を入れたかったのはクリスマスケーキ。お菓子の家風のカワイーやつを作ろうと思って、アイシングの練習もしていたのだがおじゃんである。

 

で、体調も回復したお正月。せっかくのアイシング材料が余ってしまったのでお正月モチーフでクッキーをデコレーションして遊んだ。

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アイシングってほんとうは粉砂糖とか卵白とか食紅とかを用意していろいろめんどくさい準備が必要らしいのだが、初心者の導入なのでダイソーで売っていた水に溶かすとすぐにアイシングかできるアイシングパウダーを使ってやった。コルネもダイソーのクリームしぼり袋で代用した。凝らずにこれくらいであれば十分だなと感じた。簡単なのでいつか子どもとも一緒にやりたいな。

最近はいろいろな趣味において、挑戦のハードルが下がっているのが良いなあと思う。

そして来年のクリスマスはリベンジをしたいものである。

20200115 スタートラインに立つ

三年と半年ほど前から絵画教室に通い油絵を習っている。週一回の一コマ三時間。真っ白なキャンバスに木炭で線を引き、幾通りもある色の組み合わせで形をつくっていく。

絵を描くことは難しいがおもしろい。三時間があっという間に過ぎる。

 

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半年かけて描いた絵を展覧会に出し、賞をいただいた(おそらく新人賞みたいな位置づけである)。初めて30号の大きさの絵を描き、初めて展覧会に出品し、初めて美術館に自分の絵が飾られているのをみた。全てが初めての経験である。

絵を描き終わった直後はなかなか良い絵が描けたかと思ったが、展示された自分の絵を客観的に見てみると記憶より全然出来が良くなかったのでがっかりした。

 

なにはともあれここがスタートラインである。

20200108 今年の目標を設定する

あけましておめでとうございます。

新年らしく今年の目標をたててみました。

 

ブログを週に1度は更新する

文章はやっぱり書かないと書くスピードも質も落ちるなあという実感があるのでとにかく書くことを目標にする。

 

ねりきりに挑戦する

昨年、いろいろ料理をやりたくてアイシングクッキーに挑戦してみたりしたのだが、案外におもしろく、次は立体に挑戦してみたくなった。赤子が大きくなったらいっしょにできたら楽しそうだし。ねりきりは食べるのも好きである。

 

子と一緒に山に登る

昨年は山登りが一切できなくてフラストレーションが溜まっているのである。山が私を呼んでいる。こちらも産後の身、赤子といっしょに登れる軽めの山から再開していきたい。

 

東京中のキリンを観る

来年度、いっしょに暮らしている犬のジョンの都合で一年間限定で東京に住むこととなった。もともと出不精な性質であり、なにか目的がなければ一生家に篭ってしまう。そこで思いついたのがキリンである。キリンはこの世で最も美しい生き物、MBAである(most beautiful animal)。キリンの求心力に頼ろうという腹である。果たして。

 

風邪をひかない

昨年、年末に体調を崩した。子育てをしながらの体調不良はわりあいに地獄であった。来年からは赤子も熱を出したり感染症にかかったりするだろう。一家共倒れにならぬよう、細心の注意を払っていきたい。上記を達成するためにも大前提の目標と言える。

 

今年もよろしくお願いします。