20201107 後ろ向きな祈り

人生は思った通りにはいかないものである、と誰もが言う。これはまったくもってその通りで、私の人生は計画通りに進んだことが一度もない。常に行き当たりばったりなのだ。でもそこそこ幸せです。

 

頑張って準備していたイベントが天候不良のため中止になったり、自分が言おうと思っていたことを他の人に先に言われてしまったり、あーしようこーしようと脳内でこねこねしていたことは大抵パーになる。だから、先の展開が脳内ではっきりと再生されてしまったときは、あ、この企画、パーになるな、と予感する。そしてだいたい当たる。

そういう人生を送ってきていつの間にかついた癖がある。最悪の事態を細々と脳内再生するのである。「想像したことは起こらない」「人生は思った通りにはいかない」の裏返しなわけだ。最悪を想像しておけば、最悪は起こらない。かなり後ろ向きではあるが、私なりに理屈の通った話なのだ。

 

我が家に子どもが産まれてから、自分が死ぬことよりも、自分が死んだあとに残された家族が不幸になることの方が怖くなった。身内自慢になるが、私の配偶者はまっとうな価値観を持ち、不正には声を上げ、周りから大切にされる人物である。それこそその場しのぎの生き方をしてきた私とは真逆で、きちんと計画を立て、そしてその計画を遂行することのできる人物だ。そんな人間が、私のような頓珍漢と家庭を築いたために不幸になることはあってはならないと思っている。だから私は定期的に最悪のパターンを想像する。その中には言葉にするのも憚られるような酷い話もあり、誰に話す訳にもいかず独りで悶々と抱え込んでいる。

 

子どもが産まれてしばらくしたある日、一人で外出していた私は、横断歩道を渡りながら、いつものように自分が交通事故に遭って他界したときのことを考えていた。そのときにふと閃いたのが、一年前に描いた油絵のことであった。

子どもができたと判ってから半年ほどの期間で、油絵の具で自画像を描いた。大きさはFサイズの30号。椅子に座った私がこちらをぼんやりと眺めている。背景には一面本棚を描いた。本が好きだから。

私がある日突然死んだら、家族はこの絵は一生捨てられないだろうな。私が死んだ年齢と同じ頃の自画像である。自画像は見たままに描いたつもりではあるけど、自分の残したい姿を描写した部分も多少はあるから、記憶に残るのはこの絵の私がいい。家の目につくところに飾って欲しいものだ。片親で子供を育て上げるのは苦労も多いことだろう。でもうちの子は真っ直ぐに育つんじゃないかな。そして、配偶者には子どもの巣立ちを見届けてから、この絵を眺めながら酒でも飲んで欲しいな。

 

あれ、思ったよりもいい話っぽくなってしまった。しかし、この未来は起こり得ないだろう。経験則から言うと、悪い想像より良い想像の方が思い通りにはいかないから。

 

あぁ、これで大丈夫だ、と安堵する。そして今日も、悲しい想像をしてしくしく泣きながら眠る。身内の幸せを祈って。