20191229 構造的にグロテスク

SNSで‪「子どもの純粋な着眼点にハッとした」みたいな投稿が定期的に流れてくる。

てめーの意見を子供というフィルターを通すことで、さも新鮮なオピニオンであるかのように発信しやがって、てな感じで大抵炎上しているんですけど、個人的に子供が本当にそんなことを言ったのかどうかという真偽は別にかなりどうでもいいんだけど、かつての私自身が「大人はこういうことを言うと喜ぶ」というツボを心得て発言する節のある子どもだったので、子供の発言を真に受けてSNSで発信したりリツイートするひとって随分汚れなき幼少期を過ごしてきたのなと思ってしまう。

 

私の父親は園芸が趣味で、休日にはいつも庭いじりをしていた。ある日、父親と私の二人でホームセンターへ行った際に、父が私に何か花を買ってやろうと言う。私は、花ではなくて花の種が欲しい、お庭の一画をくれ、私もお父さんみたいにお花を育ててみたい、植物を育てるのはおもしろい…と答えたのだそうだ。父親はいたく喜んだ……というのをのちに母親から聞いた。

うっすらと覚えがある。そのとき、ただ花を買ってもらうよりも、花を育てたいと言った方が父親が喜ぶと一瞬のうちに悟ったことも。私はかすみ草の種を買ってもらい、庭の隅に埋めたのだ。

つまりそこにあるのは、子供が純粋に得た意見ではなくて、親に好かれたい、褒められたいという気持ちなんじゃないかと思うんだよな。意識的にせよ無意識にせよ、子供ってそういうところあるよ。ある程度は、親に好かれることは子供に求められるスキルであるのだから仕方ない。親に嫌われたら子供は生きていけないので。

 

子供の発言とSNSといえば、新聞や文集に載った子供の作文の画像もよく回ってくるが、私は小学三年生のときに、保健所からイヌをもらってきたことを書いた作文で、担任教師に「(イヌに対して)今日から私がお母さんよ、と言いました。」という一文を追記させられ(言ってない)、それが県のコンクールで特賞を獲ったことがあるので、教師の手が加わったであろう作文の内容もあまり信用してない‬。

教師が‪子どもの意思を勝手に汲み取り作文に書かせる→小学生なんて教師の言うことは正しいと思ってるので言われるがままに書く→お偉いさんがイイネと評価し、何らかの人目につく媒体に載る→読んだ某かが写真に撮ってSNSに載せる→拡散する‬……
‪上記の流れって悪人がいないあたり(強いて言えば書いてないことを勝手に捏造する教師がクソですが)が構造的にグロテスクなんだけど、私はディストピア厨なので別にこういうの嫌いじゃないです‬。*1

 

という話を、小学校で校長を務める父親に話したら、手を叩いて面白がっていた。しょせん私は今だって、父親に喜んでほしい子供のひとりに過ぎないのかもしれません。

 

※この話はフィクションを交えています。

*1:しかし、あのとき思ってもいない気持ちを作文に書かされたことは、なんとなく大人になった今でも心にしこりとして残っている。イヌに関する大事な思い出を踏みにじられたような気がして。