20191207 親になったことについて

2019年の秋に子供が生まれ親になった。

赤子は日進月歩成長するもんで、その一瞬一瞬を見逃さないようにじっくりと日々を過ごしたつもりだったが、およそ二ヶ月経って振り返ってみると、怒涛の毎日であっという間に過ぎ去ってしまった。

幸い母子ともに健康で、一ヶ月検診を終えてからは一緒にあちこち出掛けている。買い物に行き、産院のアフターレッスンに通い、休日にはいっしょに暮らしている犬のジョンと共に少し遠出をする。友人も新生児見たさに各地から遊びに来てくれる。外出しない日がない。

まだまとまった睡眠時間がとれないので、布団から出るのが億劫な日もあるが、気合を入れて起き上がる。産後うつにだけは気をつけたいと思っている。

 

妊産婦の死亡原因の一位は自殺だという(平成27〜28年の期間)。

もともと能天気な性質であり、鬱は他人事だと思っていたが、子供ができてからは絶対はないと考えるようになった。

 

妊娠している間は、子供が無事に生まれてくるか、24時間不安であった。妊娠初期は検診がひと月に一回なので次の検診まで子供が生きているか心配だったし、胎動が始まってからは少しでも動きが感じられないと気になって仕方なかった。もし障害を持って生まれてきたら親として何ができるかをずっと考えていた。

出産に関するさまざまなリスクは、現代の医療技術でぐっと下がってはいるもののゼロではない。無事に出産したとしても、その後も病気や事故の心配は常についてまわる。

また、親になる前から自分の子供が被害者にならないようにできることを考えるときはあったけれど、実際に親になってからは加害者にならないようにできることは何かも考えるようになった。SNSなどのネット私刑を見ていると震え上がる気持ちがする。

絶対はないのだ。

 

とにかく、あらゆることを当事者の視点から観るようになった。

この子が生まれた環境に因って酷い目に遭ったり惨めな思いをすることがないようにできることを考えている。親の都合で産んだのだから、それが責任だと思っている。

どうかどうか幸せに生きてほしいと日々願っている。

 

家事育児を手伝ってくれるひとがいなかったら。産院で出会ったひとがアフターレッスンに誘ってくれなかったら。友人が忙しくて遊びに来てくれる暇がなかったら。

虐待などの痛ましい事件の報道を目にする度に、これはもしかしたら自分だったのかもしれないと思う。

そういう風に少し変わった。