20200124 みなくなった夢について

みなさんは夢みますか夢みるの好きですか、みた夢覚えてますか。

私は夢みるの好きで、夢って眠りが浅いときに見るとおもうんですけど、大学生の頃は夢をみるために惰眠を貪りまくって楽しんでいた。

私の夢はけっこう現実の願望とか悩みが直接的に反映されるんですけど、逆に夢が現実に影響を与えることある。例えばなんだけど昔、悪感情を抱いていた芸能人が夢に出てきて、遊園地かどっかでパフォーマンスをしているんだけどぜんっぜん人が集まってない、けどにこにこ笑ってがんばっている、みたいな夢を見てからその芸能人が好きになってしまった。その程度の影響があるってのが、自分にとっての夢の位置づけである。

 

で、タイトルにあるみなくなった夢の話なんだが、私は大学時代に割烹料理屋でアルバイトをしていて、そのときの夢を3.4年前くらいまではよくみていた。そこの割烹の女将さんがなんというか、精神面が若干弱めな方で、いい人ではあるんだけど、昨日良しとされたことが今日は駄目でめちゃくちゃ怒られる、みたいな揺れのある人だったのでアルバイト衆は毎度女将の顔色を伺いながら働いていた。もちろんその頃の私はまだ気の回らないペーペーであり、女将の満足のいく働きができていなかったというのも、注意を受ける一因ではあった。

時給が良かったので就活を始めるまで続けたものの、当時は結構気が重く、社会人になってからも年に2.3回の頻度でアルバイト先で働く夢をみていた。

その後、世間の荒波に揉まれ、アルバイトなど比較にならない理不尽なども経験し、効率的な仕事の仕方を覚えた。そんなある日、はたと最近割烹料理屋を舞台とした夢をみていないことに気がついた。

今であれば女将も納得のスーパーアルバイターとして活躍し、時給ももりもり上げてもらえるだろうにな、と思うのだが、こうして過去を克服したからこそもう夢には出てこなくなっちゃったんだろうなとも思う。

そうしてしみじみと思い返してみれば、まかないが美味しかったなとか、女将も大将も気分屋ではあったが愛のある良い人だったなとか、お客さんにお酒を奢ってもらって楽しかったなとか、プラスの面も次々とよみがえってくるのであった。

 

にんげん嫌な思い出ばかりが記憶に残りがちであるが、良い記憶もニュートラルに刻んでいきたいものである。過去を美化していると言われればそれまでなのだが。